ピースパパの休日
「海歩き山歩きときどきまじめ」黒ズと歩む日常の絵日記

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理想と現実
「小さい頃から動物が好きだったので」
獣医になった理由を聞かれて、多くの人がそう答えるだろう。
もちろんその思いがなければ獣医の仕事は務まらないが、動物を診る、ということは単に患者を診るだけでなく、その間にいる「飼い主」とのコミュニケーションが必ず必要となる。動物の治療は獣医の一方通行だけでなく、患者である動物、そして飼い主の協力がなければ当然のことながらうまくいかない。実際に仕事をしてみると、単に「動物が好き」だけでは片付けられない現実があることに気づく。

飼い主とのコミュニケーションだけではない。助けられる命もあれば、どうしようもない時だってある。場合によっては連日のように急患が運び込まれ、蘇生もむなしく目の前で動物が息を引き取る。そんなことが決して珍しくもない、それが臨床の現実だ。そんな現実に耐えられず、途中で挫折してしまう人も少なくない。

「インフォームドコンセント」という言葉が一般的になってきたように、いまどきの獣医療では獣医と飼い主がお互い納得し、動物にとって最善の方法を選択していくことが求められている。例えば飼い主から検査や治療について希望があった場合、「そんなものは必要ない」などと獣医が頭ごなしに反対したり押し付けたりなんてことは本来あり得ない。動物の病気が複雑化してきたり、また飼い主の意識の変化もあり動物も高度医療が受けられる環境が整ってきている。ただその一方で、現実的には救いようのないケースだってあり、その場合「治療」の選択肢だけではなく、「安楽死」を選択肢として提示しなければならないことだってある。

獣医によっては絶対に「安楽死」を行わない、という人もいる。
もちろんそんなことをしなくていいのならそれが一番いいだろう。獣医だったら誰だって治せるものなら治してあげたいと思っているのは当たり前だ。ただ苦しんでいる動物がいて、その看護で家族がバラバラになってしまっている状況で、飼い主が選んだ「安楽死」という選択に僕は反対することはできない。動物と一緒に暮らしたことがあって、その大切な家族の一員が苦しんでいるのを目の前で見ている経験があれば、簡単に「安楽死反対」なんて言えないはずだ。大好きな動物のケアだけ、ではなくて、飼い主である人間の心のケアもトータルで考えなければならない、それが獣医療の臨床の現実。

時には病気の動物だけでなく、健康な動物の「安楽死」を行うこともある。それはその動物の「攻撃性」が問題になったときだ。
攻撃性のある犬を作り出したその主な原因はもちろん人間にある。それなのに攻撃性を理由に犬が「安楽死」させられるのは人間のエゴだ、と考える人間がいることも理解できる。だが、ただ生きているだけと、家族の一員として生活を送る、という意味は大きく異なってくる。問題が出ないように、ただ生かしておくだけは簡単なことだ。安易に「安楽死」が選択されるべきではないが、だからといってそんな攻撃性のある犬を生かしておくことだけが一番いいとは思わない。

ある大型犬を飼っている家族がいた。
力の強い大型犬は子犬のときからしっかりと躾を行わないと大変なことになる、と担当の獣医から散々アドバイスされていたものの、結局その家族はその犬の躾をきちんと行わなかった。周囲が予想した通り、その犬は成犬になり診察もまともにできないほどの攻撃性を持つ犬になった。家庭では女性が主にターゲットになり、また噛まれて病院に行ってきた、なんて話をよく聞かされた。それでも家族はプロからのアドバイスをまともに聞くこともなかった。

そんななか、起こるべくして事件はおきた。
完全にアルファになっていたその犬は、真夜中に家の中の一室を占拠した。家族が近づくと、当然のように攻撃してくる。そんななか「自分は噛まれない」と勘違いしていた父親は、その犬を捕まえるべく近づき、当然の結果として病院に行くほどの大怪我を負った。それまで事故がなかったのは父親がその犬をコントロールできていたのではなく、たまたま事故につながる状況にいなかっただけだったのだ。その事件を機に、自分達の力量では飼うことができないと判断した家族は「安楽死」を選択した。
その犬が占拠していたのは畳の部屋で、家族の負った怪我により血痕が著しく、後日その部屋の畳は総張替えをしなければならないほどだった。

こんな状況を目の前にしても、その犬の本質を引き出す力量もない人間が「自分だったら助けられたのに」なんてそんな軽率なことが言えるのだろうか?
どんな犬の命も救えて、そのみんなが家庭犬として幸せに暮らす。そんなことができれば理想だが、他の命を守るために、一つの命に対して「安楽死」という苦しい決断をしなければならないときがある。そんなレスキューの現実もある。

【2007/07/03 19:27】 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑

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